室温で作動するH–導電性固体電解質の開発
-電気陰性度の低いカチオンの導入が電解質作動を可能に-
2023年10月20日
Press Releases
2023年10月20日
理化学研究所(理研)開拓研究本部小林固体化学研究室の小林玄器主任研究員(分子科学研究所教授(研究当時兼務))、高エネルギー加速器研究機構物質構造科学研究所の齊藤高志特別准教授、ファインセラミックスセンターの桑原彰秀主席研究員らの共同研究グループは、負の電荷を持つ水素“ヒドリドイオン(H–)[1]”が、固体内を拡散するイオン導電体[2](H–導電体)の研究から、室温で固体電解質として作動する新材料の開発に成功しました。本成果は、強い還元力を持つH–を活用した、新しい作動原理の蓄電池、燃料電池、電解セルなどの電気化学デバイス開発に貢献することが期待されます。
蛍石型構造[3]の水素化ランタンLaH3-δを母物質としたH–導電体では、室温で高いイオン導電率が報告されています。今回、共同研究グループは、同物質のランタン(La)の一部を電気陰性度の低いストロンチウム(Sr)に置換したH–導電体Sr-LaH3-δを合成しました。それを固体電解質に用いた全固体型の電気化学セルを構築し、室温で定電流放電試験を実施した結果、電極に用いたチタン(Ti)を二水素化チタン(TiH2)まで完全に水素化させることができました。注目すべきは、その電気化学反応のファラデー効率[4]がほぼ100%に達した点です。これはH–導電現象を用いたデバイス開発で初めてのことであり、今後の応用研究の可能性を広げる成果といえます。
本研究は、科学雑誌『Advanced Energy Materials』オンライン版(9月24日付)に掲載されました。
水素は最も身近な元素の一つですが、正の電荷を持つプロトン(H+)と負の電荷を持つヒドリドイオン(H–)[1]の両方の電荷をとり得るなど、他の元素にはないユニークな特徴を持っています。小林主任研究員らのグループは、電池材料の研究を通し、H–が価数、サイズ、柔らかさ(分極率)などの観点から、高速拡散に適したイオン種であること、酸化還元電位[5]に基づくH–の強力な還元力が、高い反応性を活かした物質変換や高エネルギー密度の電池に応用できる可能性があることに早くから着目し、ヒドリドイオン導電体(H–導電体)の材料開発を先導してきました(2016年、2022年に分子科学研究所からプレスリリース注1、2)。特に、2016年に報告した、リチウム(Li)やストロンチウム(Sr)といった電気陰性度の低いカチオン(陽イオン)によってH–の電子供与性に由来する電子伝導を抑制し、H–導電性の固体電解質として機能を実証したLa2-x-ySrx+yLiH1-x+yO3-yに関する成果は、H–導電体の主要な設計指針として位置付けられています。近年では、それに続く材料開発が国際的にも活発になっています。
今回研究対象とした蛍石型構造の水素化ランタンLaH3-δを母物質とするH–導電体は、酸素の部分導入や高圧水素下での加熱処理を施すことによって室温で高いイオン導電率を示すことが報告されており、低温作動型の固体電解質への応用が期待されています。しかし、同物質には水素不定比性[6]という固有の特徴があるため、水素欠損に起因する電子伝導性の発現をデバイス作動下でも抑制できるかどうかはわかりませんでした。つまり、優れたイオン導電性と電子絶縁性[7]の両立が求められる固体電解質としての機能は、十分に検証されていませんでした。
注1) 2016年3月18日プレスリリース「ヒドリドイオン[H-]伝導体の発見」
https://www.ims.ac.jp/news/2016/03/post_99.html
注2) 2022年1月14日プレスリリース「ヒドリド超イオン導電体の発見」
https://www.ims.ac.jp/news/2022/01/220114.html
本研究では、上述した電気陰性度の低いカチオン種の導入を水素化ランタンにも適用することで、室温でのデバイス作動を可能とするH–導電性固体電解質の開発に取り組みました。
イオン半径と価数がLa3+と近い点を踏まえ、導入するカチオンとしてSr2+を選択しました。メカノケミカル法[8]により、LaH3-δにSrが最大で60%導入できることが分かりました。本物質の結晶構造を大強度陽子加速器施設J-PARC物質・生命科学実験施設[9]に設置された中性子回折装置「SPICA」で実施した粉末中性子回折測定[10]から決定しました。H–導電率を交流インピーダンス法[11]によって評価したところ、Sr導入量が減少するほど導電率が高くなること、Sr量によらずH–導電の活性化エネルギーが30~40キロジュール毎モル(kJ mol–1)と小さいことが分かりました。(図1)
ペレット化したSr導入LaH3-δの上下に水素ブロッキング電極としてPt(白金)をスパッタ(膜付け)し、交流インピーダンス測定を実施した。H–導電率は絶対温度の逆数に対してプロットした。H–導電の活性化エネルギーはプロットの勾配から算出している。
続いて、Srを導入したLaH3-δを固体電解質に用いた全固体型電気化学セルを作製し、放電測定を行いました。H–を供給する電極材料にLaH3-δを、H–を受容する電極材料にTiを採用しました。Tiの水素化反応(Ti+2H–→TiH2+2e–)の理論容量に達するまで定電流放電を実施しました。放電後のTiの粉末X線回折図形を見ると、Srを10%導入した試料を固体電解質に用いた場合、Tiの理論容量に達するまで放電したにもかかわらず、Tiが残存したことから、セルが短絡していることが予想され、電解質として機能しないことが分かりました。一方、Srを20%以上導入した試料を電解質に用いた場合、放電後にTiが残存せず全て水素化チタンTiH2に変化したことから、ファラデー効率100%で想定した電気化学反応が進行したことが明らかとなりました(図2)。以上の実験結果から、LaをSrで20%以上置換したSr-LaH3-δが固体電解質として機能することが判明しました。
20%以上のSr導入によって電解質作動が達成された要因を調べるため、第一原理計算[12]を実施し、Sr導入量の異なるいくつかのSr-LaH3-δ構造モデルに対してH–の欠陥生成エネルギーを評価しました。その結果、Sr導入量の増加とともに、H–欠陥生成エネルギーが上昇することが分かりました。このことから、電気的陽性であるSrの導入によりLaH3-δに水素欠損が入りにくくなり、Sr-LaH3-δが固体電解質として機能したものと考えられます。
(左)用いた全固体型電気化学セルの模式図。H–を供給する正極にLaH3-δ、H–を受容する負極にTiを用いている。
(右)放電前後の負極Tiの粉末X線回折図形。放電前は三角形で示されるTiのピークのみが存在する。放電後はTiのピークは消え、丸で示される水素化チタンTiH2のピークのみが存在する。想定したTiの電気化学的水素化反応が十分に進行し、Sr導入LaH3-δが固体電解質として機能することが明らかとなった。
本研究では、LaH3-δのLaの一部を電気的に陽性のSrで置換したH–導電体が室温で固体電解質として機能することを、全固体型電気化学セルを用いた定電流放電測定により実証しました。世界に先駆けて室温で作動するH–導電性固体電解質の開発に成功したことにより、二次電池や電気化学的水素貯蔵システムなど、室温付近での動作が想定されるH–導電型電気化学デバイスの研究開発を展開できるようになりました。導電率のさらなる向上と電圧に対する安定性確保を目指すとともに、電極との界面設計などの技術的な課題にも挑戦していきます。
<タイトル>
Electropositive Metal Doping into Lanthanum Hydride for H– Conducting Solid Electrolyte Use at Room Temperature
<著者名>
Yoshiki Izumi, Fumitaka Takeiri, Kei Okamoto, Takashi Saito, Takashi Kamiyama, Akihide Kuwabara, Genki Kobayashi
<雑誌>
Advanced Energy Materials
<DOI>
10.1002/aenm.202301993
水素原子が電子を一つ受け取り、アニオン(陰イオン)となった状態。ヘリウムと同じ電子配置をとり1s軌道内を二つの電子が占有する。むき出しの原子核が点電荷として振る舞うH+と比較してH–のイオン半径は大きく、多くの化合物中では酸化物イオン(O2–)と同程度の大きさになる。
イオンが拡散することで電気伝導が生じる物質。固体電解質には電気伝導にイオンのみが寄与する物質が用いられるのに対し、電極材料には電子とイオンが同時に伝導する混合導電体が用いられることが多い。
イオン結晶がとり得る代表的な結晶構造の一つで、陽イオンが作る立方最密格子の四面体間隙を陰イオンが占める構造をとる。さらに、水素化ランタンの場合、陰イオンのH–が八面体間隙の一部を占める“アニオン過剰型”蛍石構造をとる。
流れた全電気量に対する目的物の生成に寄与した部分電気量の割合。チタンTiを水素化チタンTiH2に変化させるのに必要な最低限の電気量を流し、その結果Tiが完全に水素化されたことから、本研究における電気化学反応はファラデー効率100%で進行すると結論付けることができる。
標準酸化還元反応における電子授受に必要な電位。水素標準電極(SHE: 2H+ + 2e– = H2)に対してプラス側に大きな電位を持つ物質を貴な物質、マイナス側に大きな電位を持つものを卑な物質とする。電子の放出または受け取りやすさの定量的な尺度でもあり、マイナス側に大きいほど電子供与性(還元力)が強い。ヒドリドイオンでのH2 + 2e– = 2H–の酸化還元電位は、SHEに対して–2.25 Vである。リチウム二次電池に用いられるLi、次世代二次電池への検討がなされているマグネシウム(Mg)の酸化還元電位は–3.04 V、–2.36Vであり、H–はMgと同程度の標準酸化還元電位を持つ。
化合物の水素含有量が定比組成からずれているものを指す。Laの形式電荷は+3であり、水素化ランタンの定比組成はLaH3であるが、この化合物は常圧で水素不定比性を示すため、LaH3-δ(0<δ<1)の組成を持つことが知られている。
電子を伝導しない、または通しにくい性質。
硬質容器に硬質ボールと粉末試料を入れ、容器を高速回転させることで反応させる合成方法。試料を容器やボールと衝突した際に発生する機械的エネルギーが反応の駆動力となっている。
高エネルギー加速器研究機構と日本原子力研究開発機構が茨城県東海村で共同運営している大型研究施設で、素粒子物理学、原子核物理学、物性物理学、化学、材料科学、生物学などの学術的な研究から産業分野への応用研究まで、広範囲の分野での世界最先端の研究が行われている。J-PARC内の物質・生命科学実験施設では、世界最高強度のミュオン及び中性子ビームを用いた研究が行われている。
中性子線の回折を利用して物質の結晶構造や磁気構造を調べる測定。X線回折ではX線が外殻電子によって散乱するのに対し、中性子回折では、原子核が散乱に関与する。このため、X線では検出しにくい水素やリチウムなどの軽元素の情報を得るのに適している。ヒドリドイオン導電体の研究では、結晶中のH–の位置と濃度を決定するためにJ-PARCでの中性子回折測定が必要不可欠。
交流電圧を用いたイオン導電率の一般的な測定手法。加えた交流電圧に対する周波数応答の違いを利用し、目的物質の抵抗値を求めることが可能である。
実験結果を必要とせず、原子の種類と配列を用いて量子力学に基づいて物質の電子状態を計算し、その特徴や性質を導き出す手法。
理化学研究所 開拓研究本部 小林固体化学研究室
主任研究員 小林玄器(コバヤシ・ゲンキ)
(分子科学研究所 教授(研究当時兼務))
研修生 泉善貴(イズミ・ヨシキ)
(分子科学研究所/総合研究大学院大学 博士課程学生)
研究員 竹入史隆(タケイリ・フミタカ)
(分子科学研究所/総合研究大学院大学 助教(研究当時)、JSTさきがけ研究者(兼務))
研修生(研究当時) 岡本啓(オカモト・ケイ)
(分子科学研究所/総合研究大学院大学 博士課程学生(研究当時)、現 東北大学 金属材料研究所 助教)
高エネルギー加速器研究機構 物質構造科学研究所
特別准教授 齊藤高志(サイトウ・タカシ)
名誉教授 神山崇(カミヤマ・タカシ)
ファインセラミックスセンター ナノ構造研究所
主席研究員 桑原彰秀(クワバラ・アキヒデ)
本研究は、科学技術振興機構(JST)創発的研究支援事業「ヒドリドイオン導電性材料の開拓と新規イオニクスデバイスの創製(研究代表者:小林玄器、JPMJFR213H)」、同創発的創造研究推進事業さきがけ「複合アニオン固体電解質を用いたヒドリドインターカレーション反応の開拓(研究代表者:竹入史隆、JPMJPR20T2)」、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業基盤研究(B)「ヒドリド導電体の物質科学 -低温作動化に向けた物質設計指針の構築-(研究代表者:小林玄器、20H02828)」、同若手研究「複合アニオン水素化物の探索空間拡張とヒドリド導電機能の開拓(研究代表者:竹入史隆、22K14755)」、同新学術領域研究(研究領域提案型)「ヒドリド超イオン導電体の物質探索(研究代表者:小林玄器、17H05492)」「高速・局所移動水素と電子とのカップリングによる新発想デバイスの設計(研究代表者:森初果、18H05516)」「アニオン配列制御に基づくヒドリド導電体の開発(研究代表者:竹入史隆、19H04710)」「H–導電性材料のメカノケミカル合成(研究代表者:小林玄器、22H04514)」、同挑戦的研究(萌芽)「水素の電荷自由度を活用した物質変換デバイスの創出(研究代表者:小林玄器、22K18909)」による助成を受けて行われました。中性子回折実験は高エネルギー加速器研究機構物質構造科学研究所中性子共同利用S型課題2019S10(機能性材料の機能性と反応の構造科学研究)で実施しました。
<発表者> ※研究内容については発表者にお問い合わせください。
理化学研究所 開拓研究本部 小林固体化学研究室
主任研究員 小林玄器(コバヤシ・ゲンキ)
(分子科学研究所 教授(研究当時兼務))
高エネルギー加速器研究機構 物質構造科学研究所
特別准教授 齊藤高志(サイトウ・タカシ)
ファインセラミックスセンター ナノ構造研究所
主席研究員 桑原彰秀(クワバラ・アキヒデ)
<機関窓口>
理化学研究所 広報室 報道担当
Tel: 050-3495-0247
Email: ex-press [at] ml.riken.jp
自然科学研究機構 分子科学研究所 研究力強化戦略室 広報担当
Tel: 0564-55-7209 Fax: 0564-55-7374
Email: press [at] ims.ac.jp
高エネルギー加速器研究機構 広報室
Tel: 029-879-6047
Email: press [at] kek.jp
ファインセラミックスセンター 研究企画部
Tel: 052-871-3500 Fax: 052-871-3599
Email: ressup [at] jfcc.or.jp
J-PARCセンター 広報セクション
Tel: 029-287-9600 Fax: 029-284-4571
Email: pr-section [at] j-parc.jp
※上記の[at]は@に置き換えてください
掲載内容についてのお問い合わせ等がございましたら、下記までご連絡ください。
〒456-8587 名古屋市熱田区六野二丁目4番1号
(一財) ファインセラミックスセンター 研究企画部
TEL 052-871-3500
FAX 052-871-3599
e-mail: ressup@
(※メール発信は@の後ろに jfcc.or.jp を付けて送付ください)
研究担当者
ナノ構造研究所 桑原彰秀(くわばらあきひで)