年譜 | 1985~1990年度 | 1991~2004年度 | 2005年度~
History
年譜 | 1985~1990年度 | 1991~2004年度 | 2005年度~
「いざなぎ景気」以来の長期的な好景気が続いた日本経済は、バブルの崩壊とともに、一転低迷の続く状況となり、JFCCを取り巻く環境が厳しさを増した時期である。こうした状況のもとファインセラミックス産業に新規参入した企業が、景気後退によるリストラにより、ファインセラミックス事業を縮小したり、撤退する企業も現れた。ファインセラミックスの需要は、半導体産業向けの電子セラミックスを中心に着実に増加したものの、設立当時予測されたほどの拡大は見られず、伸び悩んだ時期であった。しかし一方では、エネルギー問題や地球環境問題がクローズアップされ、それらの技術課題の解決に有用な材料としての期待が高まっていた時期でもあった。
受託事業収入の増加が緊急の重要課題であったが、景気の低迷により、民間受託の大幅増加は極めて難しく、このため国の大型プロジェクトの導入が期待されるところとなった。業界でもファインセラミックスに関する新しい国家プロジェクトの要望が起こり、関連有力企業13社とJFCCが参画して1992年9月に「超信頼性融合セラミックス研究推進懇話会」を設立し国に働きかけた結果、1993年度に新しい産業科学技術開発制度の先導研究テーマ「高次構造制御融合無機材料」として取り上げられることとなった。そして翌1994年度から「シナジーセラミックス」の名称で本格プロジェクトとして立ち上がった。このプロジェクトは、第I期の研究開発期間を1994年度からの5年間とし、ファインセラミックス技術研究組合(FCRA)が新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)から受託し、集中共同研究を主体とする運営方式をとり、その研究拠点として、前駆体設計、組織形成設計を各々テーマとするFCRA組合の「シナジーセラミックス研究所」がJFCC施設内に設置された。
更に、新技術事業団による日独共同研究「セラミックス超塑性プロジェクト」に研究場所を提供するとともにその運営に協力することとなった。
国からの受託事業については、以上のほか、1992年度に地球温暖化対策研究の一つとして通商産業省が提唱した「二酸化炭素高温分離・回収再利用技術開発プロジェクト」をNEDOから受託した。このプロジェクトは、研究期間8年間、企業8社、5大学(うち海外1)、総予算約40億円で、JFCCが受託した最大規模のプロジェクトであり、かつJFCCがプロジェクト全体の運営管理と集中研究所機能をセットで受託した初めてのもので画期的なことであった。
また、技術的基盤整備事業については、ファインセラミックスの標準化事業を重点的な事業として位置付け、標準物質として一連の「リファシリーズ」を協力企業と共同開発し、頒布を開始した。更に、国際的な標準化活動にも積極的に参画した。1992年4月に「ファインセラミックス標準化推進に関する国際会議」をJFCA等と共催し、同年11月にJFCCとして「JFCC標準化事業構想」を策定し、オープンマテリアルシステム(OMS)を中心とする国際標準化推進へ協力することとした。
1991年4月に「特別賛助会員制度」を新たに導入した。この制度は、JFCCと企業との交流を深め事業活動について理解を得るとともに、JFCCへの人材派遣についても協力いただくことを目的とした制度であるが、企業のご理解とご協力により1991年度末の会員は115企業、出向者21名となり出向研究員は前年度比5名の増員となった。
1992年3月に、JFCCにとって初めての総合的な経営計画である「第1次中長期経営計画」(1992~1994年度)を策定した。この計画では、(i) 業界ニーズに沿った研究活動の推進、(ii) 国の方針と業界のコンセンサスにもとづく標準化事業の戦略的展開、(iii) 従来の「総合委員会」、「試験研究所運営委員会」を廃止してそれぞれ「経営委員会」、「企画運営委員会」に改組。委員は全国の関連企業、有識者から幅広く選任。JFCAと連携強化、(iv) 受託事業収入の目標設定(年増加率5%、5年で10億円台乗せ)および減価償却引当前の黒字収支差(毎年数千万円)の確保を骨子とした。
1995年3月に、これまでの事業実績を勘案し、更なる飛躍を期して、新しく「経営基本方針(青春経営)」と
「第2次中長期経営計画」(1995~1999年度)を決定した。これらの基本的な考え方は、次のとおりである。
(i) JFCCが本格的な研究開発基盤を構築するためには、ファインセラミックス市場の飛躍的な規模拡大が不可欠であるが、現状は期待値との差が大きく解決しなければならない問題が山積している。これらの打開には、国内外の産官学の英知と技術を結集し、ファインセラミックスを基盤とする新たな技術開発の概念を形成することが必要である。この課題に向かって、JFCCは世界の研究拠点 (COE) に挑戦する。(ii) 国際的視点からファインセラミックス試験評価方法の先取り標準化の研究開発を基軸とし、標準物質開発、データベース構築とともに蓄積してきた技術資源をシステム的に有効活用し、国際性豊かなファインセラミックス総合評価システムの統括的な機関の形成を目指す。(iii) 国の研究開発プロジェクトへの参加を通じて蓄積した技術を生かすとともに、国の政策課題、自治体の技術振興課題、民間企業の課題などにも取り組み、研究成果の活性化、相乗効果を図る。また、産官学、学際、業際、国際、開発者、利用者の相互啓発、相互連携などの要となり、産官学などの相互繁栄に貢献していく。(iv) 財務基盤の安定化を進めると同時に、役職員一人ひとりが優れた創造力、たくましい意志、勇気ある行動力に満ちた青春の心を持って、自己の役割を果たす。
この計画策定にあたって、職員からキャッチフレーズを募集した結果、「JFCC」とかけた「喜びと輝き、挑戦と創造、Joy & Flush, Challenge & Creation) 」が最優秀作品に選ばれた。
バブル経済の崩壊に伴う景気低迷のもと大幅な金利の低下のため、基本財産および運用財産の利息収入が大幅に減少した。因みに、公定歩合は1990年4月の6%から数回の引き下げを経て1992年7月3.25%へ、更に数回の引き下げを経て1993年9月には1.75%へ、1995年4月には1%と急激な金利低下であったが、その影響は、財団経営にとって非常に重い痛手となった。このため、1992年7月には緊急支出削減対策を行い、経費節減に努めた。
1991年4月に皇太子殿下がJFCCをご視察され、愛知県知事、名古屋市長ならびにJFCCの会長、副会長、理事長はじめご案内につとめた関係者にとって感慨深い思い出となった。
1991年7月には、JFCCとして初めて研究員を海外留学(米国ケースウエスタンリザーブ大学、期間1年半)に派遣し、電子顕微鏡技術の高度化と海外研究者との交流拡大に成果があった。
1992年4月に人事・賃金制度、組織の改定を行い、職能等級制、一部職員に対し年俸制の導入、柔軟な組織運営を行うべく部制の廃止、グループ制の導入を行った。
1992年6月には、設立以来7年間会長として在任された岩田弍夫氏が退任し、後任に土方 武氏(住友化学工業(株)会長)が第2代会長に就任した。
1994年4月柳田博明・東京大学教授を試験研究所担当非常勤理事に迎え、主に研究面の指導を受けることとなったほか、中核となりうる優秀な人材を少数精鋭で採用するなど、人材面でも質的に強化が図られた。1994年度末時点の常勤役職員は100名(うち、出向者35名)となった。
1994年4月に組織改定を行い、企画管理本部の設置、技術基盤整備事業の一層の推進を図るための基盤研究室を設置した。秋には設立10周年の記念行事を行った。
この時期の景気動向は、バブル経済崩壊後の最悪の状況からは脱しつつあるが、構造的不況からの本格的な回復は当分期待できない状況であった。企業の業績も長期低迷し、高水準でリストラが進展し、企業の研究開発投資も減退したが、その一方で、研究のアウトソーシング化が進んだ。国においては、1995年に科学技術基本法およびこれに基づく第1次科学技術基本計画(1996~2000年度)が整備され、科学技術分野に対する予算措置が大幅に拡充されることとなった。国の研究受託の面では、「提案公募型研究への一層の傾斜」、「実用的成果、波及効果の重視」、「技術基盤整備の重視」、「新産業創出、中小企業支援、ベンチャー支援を目指す地域コンソーシアム型研究開発の導入」などが特徴であった。
JFCCにとって、国受託の環境は総じて追い風基調であるが、それを受託につなげるためには、従来にも増してニーズに合致したテーマ提案が重要となった。
こうした状況を背景として、JFCCの国受託額は、1997年度からの数年間は15億円前後の高水準で推移することができた。これに民間受託を併せた受託事業収入額は、1997年度に初めて20億円を突破することができた。一方、設立10年以上を経過して建物や設備の保守・取替費用の増加、一段と進んだ超低金利政策による利息収入の減少などのマイナス要因があったが、この5年間の収支状況は、健全な水準を維持することができた。
第1期シナジープロジェクトは予定どおり1998年度に終了し、新たに第2期プロジェクトが1999年度から5年計画でスタートした。先端評価・設計技術をテーマとするFCRA組合の「第4集中研究所」がJFCC施設内に設置さ れた。
カーボンナノチューブを中心とする炭素系高機能材料の産業化のための基盤技術の確立を目的とする「炭素系高機能材料技術研究開発」(フロンティアカーボンプロジェクト(FCTプロジェクト))は、通産省産業基盤研究開発プロジェクトとして1998年度から5年間の計画でスタートし、JFCCがNEDOから管理運営を含め委託先に選定された。参加機関は、2団体、15企業、9大学(うち海外大学3)で、つくばの物質工学技術研究所(現:産業技術総合研究所)と大阪大学に集中研究所が設置された。これに伴い、JFCCではプロジェクトの管理運営を行う「FCT研究本部」を、新たに開設した東京事務所およびつくば分室に置くとともに、大阪大学に常駐者を置き、企業7社に従たる研究所を設置した。このプロジェクトは、予算規模(5年間で約66億円)、実施体制とも規模が大きいこと、JFCC本体の試験研究所が受ける受託研究予算額は全体の3%程度であること、管理運営には多数の専任スタッフが必要であることなど、これまでに受託したプロジェクトとは大きく異なることを考慮し、このFCTプロジェクトは通常のJFCCの会計(一般会計)と区別した「特別会計」として扱うこととした。
この時期の5年間に国等から新たに34件を受託し、そのうち19件は、セラミックス材料特性の測定評価技術の開発とその標準化、データベースの構築など、いわゆる技術基盤(テクノインフラ)に関連する受託であった。この背景には、国における技術基盤整備の重視政策が追い風になったこと、日本がファインセラミックス国際標準化活動(ISO/TC206)の幹事国であり、標準化関係の国テーマが増加したこと、設立10年を経過してJFCCのこれまでの測定評価技術の蓄積、標準化に関する活動実績などを評価していただいたことが主な要因として挙げられる。これらの受託研究の成果は、プレ国際標準化研究であるIEA/VAMAS活動の推進、標準化活動を展開しているファインセラミックス国際標準化推進協議会、JFCAなどセラミックス関係団体や通商産業省ファインセラミックス室、工業技術院標準部等との連携のもとに内外のセラミックスの標準化、規格化に反映されていった。
この他に研究テーマでは、カーボンナノチューブ、電子線ホログラフィーによる機能直視、自己診断材料(賢材)など、JFCCの独自シーズに根ざした国受託を獲得することができた。
地域コンソーシアム研究開発制度にJFCCも中小企業、大学、公設試験所等と連携して積極的に応募し、この期間に3件の受託を得ることができた。
2000年3月に、「社会そして世界に役立つJFCC」をスローガンとする「第3次中長期計画」を策定した。この中長期計画は、2000年度からの5年間を対象とするもので、(i) 研究開発事業と技術的基盤整備事業を不可分な一体のものとして推進、(ii) 研究開発事業は、メカニズム解明など評価解析技術の向上、標準化を念頭に置いた各種材料評価技術の向上、国や産業界の要請には得意技術を駆使して対応、大型プロジェクト獲得に向けてのテーマ創成能力の向上、獲得プロジェクトの効果的推進のためのコーディネート能力の向上、(iii)中小企業振興事業、普及啓発事業、国際交流事業は研究開発事業と関連づけて推進、(iv) グループ間の融合・協調を図る柔軟でダイナミックな組織運営と優秀な人材の採用と育成、(v) 試験研究所の抜本的改組と研究開発中心部署/試験評価中心部署の設置に向けた検討、を重点方針とした。
1996年4月、柳田博明・東京大学名誉教授が第3代試験研究所長に就任し、世界のCOEを目指す研究推進に拍車がかかった。1998年3月には、5年余にわたって在任された土方武会長が退任し、後任に佐波正一氏((株)東芝相談役)が第3代会長に就任した。
1996年4月にテクノインフラ室と事業推進室の設置を柱とする組織改定を行い、技術的基盤整備事業の強化など今後の事業展開に対応した。1986年度から10年間にわたりJFCCの東京地域での拠点として活動してきた東京駐在事務所を1996年6月に閉鎖した。JFCCのOB各位との親睦増進を図るため、1996年7月にOB会(会長:初代専務理事・阿久津一氏)を発足し、以後定期的に交流の場を設定してきた。
本格的な事業を開始して10年が経過する中で、研究設備の増強等に伴って研究室の狭隘化が進んだため、1996年度に屋外倉庫を新設した。1997年10月にはJFCCホームページを開設し、研究および依頼試験の受託拡大を目的に研究成果、事業活動のPRを中心に広報活動を展開した。
1999年度から次年度にかけて「オフィスリフレッシュ運動」を全所的に展開した。全役職員デスクのパーテイション化とパソコン支給・所内LANの拡充を行い、情報の共有化、事務処理効率化を図ったほか、展示ホールを1階エントランスホールに移設し、来訪者へのPR効果を高めた。
2000年に小泉内閣が発足し、国・自治体の膨大な借金体質と国内経済の長期混迷に如何に対応するかが問われる時代に入った。その一環として行財政改革が重点的な施策とされ、特殊法人、国立研究機関、国立大学等の法人化が実行に移された。この動きは、これまでの科学技術政策の在り方にも大きく影響し、研究開発の重点は、ナノテク・材料分野、情報通信(IT)分野、環境分野、ライフサイエンス分野の4本柱を軸に推進されることとなった。また、経済産業省では、3年程度の短期間で実用化、製品化につながる研究成果を追求する出口指向の高い研究開発制度(フォーカス21)が導入された。
これらの国の動向は、受託研究を最大の収入源とするJFCCにとって、非常に大きな影響を受けるものであった。とりわけ国立研究機関、国立大学の法人化は、国プロジェクトの受託競争の激化につながり、従来のような提案活動の延長だけでは、受託獲得は非常に困難となった。また、経済産業省における出口指向を強調する研究開発制度は、基礎的基盤的研究を中心に展開してきたJFCCには著しく不利となった。ただし、ナノテク・材料分野が重点分野に指定されたことは、JFCCの強みである電子顕微鏡技術やファインセラミックスを主とする材料特性の評価解析技術を活かした提案・研究活動に明るい展望をもたらすことが期待された。一方、1990年代半ばから国受託の大きな比重を占めてきた技術的基盤整備事業型の研究受託は、2000年代に入って急激に減少した。かつてJFCCの研究分野の半ばを占めていた構造材料系テーマもこの時期に著しく減少した。
こうした背景から、JFCCの国等受託額は2003年度から顕著な減少に転じ、2004年度の新たな国受託の獲得は実質ゼロであった。また、1987年度から18年間にわたって実施してきた「溶融炭酸塩型燃料電池」(MCFC組合)、「超電導電力応用」(スーパーGM組合)などの長期継続テーマが相次いでこの時期に終了するなど、新旧テーマの交代とも時期的に重なった。このような国受託環境の急激な変化は、その後の財団経営にとって重大な局面を迎える状況となってきた。一方民間受託については、研究テーマ受託と依頼試験・機器利用の売上げを含めた金額は、1997年度以降5億円~6億円で推移してきたが、2004年度には5億円弱に漸減した。一方、依頼試験・機器利用の売上げは、経年的に増加傾向をたどり、2003年度には過去最大の1.3億円を計上した。これらの経緯を踏まえ、今後の対応を検討し第4次中長期計画を策定した。
1999年度のNEDO受託を契機に取り組みを開始した生体材料部門では、2000年度から2003年度にかけて4件の新たな国プロジェクトを受託し、さらに2004年度には民間企業からも初めて受託するなど、生体材料の開発、評価解析を中心に活動が進展してきた。
大型の国プロジェクトではNEDOの材料・ナノテクノロジープログラムの一つとして、「ナノコーティングプロジェクト」を受託し、2001年度から5年計画で開始した。これは、JFCCがプロジェクトの管理運営と集中研究を併せて担当する中核的立場での大型先導テーマであり、高温ガスタービン用遮熱コーティング技術の高度化が期待された。
また、2002年度には経済産業省から「高効率水素分離膜プロジェクト」を受託(2003年度からNEDO受託)し、5年計画で実施した。これもプロジェクトの管理運営と集中研究を併せて担当する中核的立場での大型先導テーマであり、今後の水素エネルギー利用システムへの貢献が期待された。
さらに、文部科学省傘下の物質・材料研究機構から「アクティブ・ナノ計測基盤技術」の大型テーマを受託し、2001年度から3年計画で実施した。このテーマは、JFCCの強みである電子顕微鏡技術による高温環境下での材料創製・解析、電子線ホログラフィー技術による半導体内部の電位分布の解析など先端技術を集結して実施した。
自己診断材料(賢材)については、国の大地震などに備える安全安心分野の重視方針が追い風となり、NEDOから「社会構築物の安全維持管理のための自己診断材料・修復材料の開発とシステム化」の大型テーマを受託し、2001年度から5年計画で実施した。
セラミックスを中心とする材料産業技術のネットワーク型センターを構築するワールドマテリアルセンター(WMC)構想について、経済産業省の委託により各界の有識者をメンバーとする調査研究を2001年度からの5年計画で実施した。
特別会計では、2002年度に「ナノカーボン技術」を新たに受託する一方、1998年から5年計画で推進してきた「炭素系高機能材料技術研究開発(FCTプロジェクト)」は、2002年度末で終了した。翌2003年度からは、「ナノカーボン技術」が「ナノカーボン応用製品創製プロジェクト(NCTプロジェクト)」へ移行し、2005年度までプロジェクトを推進した。
1989年度から13年間にわたり海外協力事業団(JICA)から受託して進めてきた発展途上国の技術者を対象とする「ファインセラミックス集団研修コース」は、当初の目的を達成し、2001年度を最後に終了した。また、JFCCの普及啓発事業の目玉として、設立当初の新素材ブームの当時から中日新聞社等と共同開催してきた「ファインセラミックスフェア」は、2002年2月の開催を最後に「国際セラミックス総合展」へ発展的に継承された。
JFCC研究成果発表会は、JFCCの最大行事であり、1989年度以降毎年、名古屋および東京を中心に開催してきた。これまでは代表的な研究成果の口頭発表に重点をおいてきたが、2002年度からは受託推進活動の絶好の機会と捉え、技術成果、取得特許のポスター展示の大幅増加と説明員の配置などPR色を強める方向に運用改善を図った。
厳しい環境変化に対応するため、2002年3月に、中長期的視点から研究計画を見直すとともに、その行動指針として同年6月にアクションプランを作成した。その要点は、国の研究開発政策および産業界のニーズに沿った提案活動の一層の展開、試験研究分野における選択と集中の一層の推進、知的財産権をより重視した研究活動の展開、中核的立場で受託した国プロジェクトの管理運営業務のより効果的推進、外部機関との連携による標準化事業の効率的推進、外部有識者による研究評価の導入などであった。
2003年度には、国受託、民間受託の拡大を図るため、役職員の役割分担と訪問機関を決め、持続的かつ強力な受託推進活動を展開した。また、職員のモチベーション向上と組織総合力を一層高めるため、活性化委員会を設置した。受託拡大と職員・組織の活性化は、一過性の活動でなく長期的視点から取り組んでいくこととした。
2004年10月に、JFCCは文部科学省「科学研究費補助金」の申請研究機関として指定を受け、科研費の申請を開始した。
2005年3月に、第4次中長期経営計画(2005~2009年度)を策定した。これの要点は、(i) 国受託で獲得したシーズ成果の民間受託提案への反映、および民間受託で獲得した共通的ニーズ解決策の国受託提案への反映など国・民間受託拡大に向けての好循環の実現、(ii) これまで進めてきた選択と集中をさらに推し進め、得意技術の更なる深化による競争力の強化と応用領域への展開、戦略的視点に立った新規着手分野の企画と自主研究による先行シーズの獲得、特許・論文の目標管理の導入、(iii) 企業との密な連携による国の出口指向強化への対応、知財権の弾力的運用・大学等外部シーズの活用など新たな発想による民間受託への対応、(iv) 将来の核となる優秀な人材の戦略的採用、流動研究者・派遣職員など多様な雇用形態をミックスした弾力的人事計画による人材の流動化と人事諸制度の充実などである。
2000年10月、柳田博明試験研究所長は、名古屋工業大学学長に選任されたことに伴い退任した。翌11月から数ヶ月間、軽部征夫東京大学教授(同国際・産学共同研究センター長)に、研究全般にわたってご指導をいただき、独創的アイデアの出し方や基本特許を狙った研究の重要性などについては、多くの研究職員に影響を与えた。2001年12月に、平井敏雄・東北大学名誉教授が第4代試験研究所長に就任した。2002年6月には、4年余にわたって在任された佐波正一会長が退任し、後任に瀬谷博道氏(旭硝子(株)会長)が第5代会長に就任した。2003年6月には、1991年3月以来12年余の長期にわたってJFCC発展に尽力された大橋正昭理事長が退任し、後任に野嶋 孝氏(中部電力(株) 副社長)が第3代理事長に就任した。
JFCCの組織改定は、これまでも必要の都度行ってきたが、特に2000年度以降のこの時期は、受託環境の変化に対応した業務執行と職員の適性を重視した配置を行うため、試験研究所を中心に組織の見直しを行った。アメーバ型研究体制の導入(2000年4月)、4つの技術群に再編して4副所長が統括(2001年4月)、「試験研究所」の呼称を「材料技術研究所」へ改称(2002年4月)、試験評価と研究支援を主要任務とする試験評価部の設置(2003年4月)などを経て、2004年8月、企画・営業部門の強化と研究組織の大括りのため、研究企画部、研究第1部、研究第2部、試験評価部、営業部、事業部の体制を編成した。
2004年度、政府機関との連携強化のため、NEDOへ職員の出向を初めて行った。NEDOの受入方針が変更となった2009年度までの6年間で、合計3名の出向者派遣を行った。
設立15年を経過して、JFCCの建物・設備の老朽化・狭隘化が進んだこの時期は、多額の自己資金を投じて、空調設備の全面更新、循環冷却水系・ドラフト排気系・排水系の保守、第2実験棟の新設、電源設備の増強などを実施した。