有機EL試料内部に形成された電位分布の直接観察に成功
~新たな評価技術を通じて有機デバイス社会の実現へ~
2021年7月29日
I【研究概要】
一般財団法人ファインセラミックスセンター(以下、JFCC)は、国立大学法人岩手大学と共同で、JFCCが独自に改良してきたナノスケールの電位観察手法である電子線ホログラフィー※1を用いることで、有機EL(Electro Luminescence)※2 デバイス内部に形成された電位分布を定量的に直接観察することに成功しました(図1参照)。
有機ELは有機材料の薄膜に外部電圧を印加して電子を注入することで発光が得られ、この現象を応用し、既にテレビやスマートフォンのディスプレイといったデバイスに利用されています。これらの利用が広まる一方、効率、寿命の面で課題があることから、有機EL製品は液晶ディスプレイといった従来品と完全に置き換わるまでには至っておらず、長寿命化など更なる性能の向上が望まれています。そのためには、デバイス内で電子が流れる「原動力」となる電位分布を計測することが重要ですが、LED照明のような従来型の無機半導体を用いた発光デバイスと比べ電位分布が複雑であり、発光メカニズムの詳細が明らかになっていませんでした。
本研究では、有機ELデバイス内部の複雑な電位分布を観察するため、JFCCが改良を重ね実現した高分解能・高検出感度の電子線ホログラフィーにより、ナノスケールにおける有機ELデバイスの電気的特性を明らかにしました。実際のデバイス構造と電位分布の関係を明確にできる本手法が、有機ELデバイスにおける新たな評価技術として有効であることを示しました。本手法の確立によって、電子の挙動が詳細に明らかになり、有機EL内部の電位分布とデバイス特性の関係を可視化できれば、高性能な有機ELデバイスの研究開発に貢献できます。例えば、本手法を用いた解析によって、電子の過剰な集中などによる劣化の原因を特定でき、デバイス寿命の向上につながることが期待されます。
本成果は2021年7月1日に、応用物理学会の学術雑誌「Applied Physics Express」の電子版に掲載されました。
なお、本研究はJSPS科研費JP19K05289、JP19K22136、JP20H02627の助成を受けたものです。
II【本研究の詳細】
①現状と課題
有機EL発光デバイスは軽量・フレキシブル・作製プロセスの容易さといった応用上の利点を持ち、ディスプレイを中心に実生活にも普及しつつあります。これまで、材料の合成やプロセス技術などデバイス開発に関する応用研究と共に、機能発現などに関する基礎研究が精力的に行われてきました。有機ELデバイスは外部電圧を印加することで発光するため、デバイス内部の電位分布を正確に把握することで、電極から注入された電子および電子の抜けた穴とも言える正孔が「どこ」を「どのように」移動するかが分かります。このような研究を進めることで、デバイスの特性を向上させる指針を得ることが期待されます。
これまで、光電子分光法や※3ケルビンプローブ法※4によって、電極から有機層への電子注入特性に関する知見が得られてきましたが、これらの手法は表面近傍の電位解析に限定されるため、有機層内部については計算機シミュレーションの結果を実証することが困難でした。一方、電子線ホログラフィーは半導体内部の電位分布を観察するのに有効な手法の一つです。これまで、研究グループは有機層が5層からなる多層有機ELデバイスの静的な電位分布を観察しました(K. Yamamoto et al., Microscopy, 70(2021)24-38.)。しかし、多層有機層の構成材料やそれらの境界面の数が多く、複雑になることから、正確な物理現象の解釈までは得られませんでした。有機材料の層内および界面では、電子の挙動が複雑であるため、各物理現象の発生要因を理解する目的で、正確な電位分布の計測が求められていました。
②研究手法
今回、有機EL試料の観察に用いた電子線ホログラフィーは、透過電子顕微鏡(Transmission Electron Microscope: TEM)技術の一つであり、ナノメートル領域の電位分布を定量的に観察できる特長があります。本手法は入射電子線の干渉性を上げるためにできるだけ電子線を拡げた低い照射密度の条件で観察するため、通常のTEM観察よりも試料への電子線ダメージを抑えることができます。そのため、一般的に電子線に対して脆弱である有機材料の観察に有効であると考えられます。さらに、より高い精度で電位分布を計測するため、JFCCが独自に改良を重ねてきた技術である位相シフト電子線ホログラフィーを用いました。これにより、1.8 nmの空間分解能と0.01 Vの電位検出感度を実現し、シャープな電位分布像を得ることに成功しました。
③研究成果
JFCCが所有する電子線ホログラフィー観察用のTEM(図2(a))を用いて、有機EL試料(図2(b))の観察を行いました。この試料は、透明電極であるITO/ガラス基板上に、正孔輸送層の有機半導体材料α-NPD(図2(c))、電子輸送兼発光層の有機半導体材料Alq3(図2(c))、陰極のAlの順で、図に示す厚さを真空蒸着法によって成膜したものです。Al上に試料保護のためのPt膜を成膜した後、有機EL試料を集束イオンビーム(FIB)装置によって試料厚さ360 nmに薄片化し、TEM試料を作製しました。
通常のTEMによる観察結果(図3(a))では有機材料間でほとんど差異が見られませんでしたが、強度プロファイルにおいては、有機材料界面でわずかながら強度差を確認することができました(図3(b))。同一領域の電子波干渉像(ホログラム)(図3(c))から、干渉縞の曲がりが電位分布を示すという特徴を用いて画像解析を行い、電位分布像を得ることにより、層内に生じる電位分布を観察することができました(図3(d))。さらに、電位プロファイルから、電位の傾きである電場に関し、異なる領域が形成されていること(図3(e)の(i)~(iii))が分かりました。各層における電場の値は、α-NPD 層である領域 (i) では−1.8 ± 0.4 MV/m、α-NPD/Alq3界面近傍である領域 (ii) では、−10.0 ± 2 MV/m、Alq3層である領域 (iii) の電場は3.1 ± 0.6 MV/mであり、ナノスケールでの電気的特性を詳細に明らかにしました。
本研究では、これらの電場が形成された要因について考察し、(1) α-NPD層内での正孔の蓄積、(2) α-NPD/Alq3界面での電子の拡散、(3) Alq3の電気的偏りによって、図3(e)に示すように電子および正孔が蓄積し、電場を形成していることを示しました。他の手法を用いたこれまでの研究で、有機層内部の電場形成要因についての報告はありましたが、本研究ではそれらが複合的に作用し、実際のデバイス構造とどのように対応するかを直接示すことに成功しました。
以上のように、本手法を用いることによって、有機EL内部に形成された電位分布を定量的に観察することに成功しました。また、計測された電場の方向と値は他の手法で計測された値と同等であり、電子線ホログラフィー計測による有機EL試料内部の電位分布計測が極めて有効であることを示しました。
④今後の展開
今回の結果から、電子線ホログラフィー計測が有機EL試料の観察に有効であることが分かりました。今後は、TEM内でデバイスを動作させながら観察(operando観察)することで、発光前後やデバイスの劣化前後における電位分布変化を捉えることが可能になります。また、これらの観察結果とシミュレーションの結果を効率的に作製プロセスへフィードバックすることで、より高効率・長寿命なデバイスを迅速かつ低コストで開発することに繋がります。これによって、軽量かつフレキシブルなディスプレイが安価で普及し、例えば、フレキシブルなディスプレイを搭載したウェアラブルデバイスやそれを用いたVR、AR、MR※5などの仮想空間が広く浸透することが期待されます。新たな評価技術を通じて、経済や科学、医療などの分野に世界中の人々が繋がり、コミュニケーションが自由に取れる有機デバイス社会の実現に貢献します。
本研究は、JSPS科研費JP19K05289、JP19K22136、JP20H02627の助成を受けて行われたものです。