【詳細な説明】
研究の背景
近年、輸送機器の軽量化や電子機器の高性能化、さらには材料の解体・再利用技術の向上に基づく低炭素・循環型社会の実現が望まれており、有機材料(接着剤)と無機材料の間の“接着・剥離”現象の基礎を理解し、接着強度や剥離性能の自在な制御に繋げることが必要とされています。接着現象の支配因子は大きく化学的相互作用(注 5)と機械的相互作用(注 6)に分けられますが、これら 2 つの相互作用の接着・剥離現象に対する影響や寄与について、根本的には理解されていませんでした。特に、化学的相互作用の一種である、無機材料の“表面化学状態”が接着剤の分子構造や界面剥離挙動に及ぼす影響については全く未解明の状態でした。
今回の取り組み
本研究グループは、まず表面が極めて平滑であり機械的相互作用の接着への影響を除外することができるシリコン(Si)基板(注 7)にエポキシ樹脂(注 8)を塗布し加熱硬化させることで、化学的相互作用の影響のみを評価できる接着界面を設計しました(図 1)。走査透過電子顕微鏡法(STEM)(注 1)による電子エネルギー損失分光(EELS)(注 9)測定を用いて、接着界面について 1 nm(注 10)という超高分解能での化学組成分析を行うと共に、EELS で分析した化学組成分布を反映した接着界面の計算モデルに反応硬化分子動力学シミュレーションを適用することで、接着界面近傍に存在するエポキシ樹脂の架橋構造や Si 基板表面への吸着状態などを直接可視化する方法論を確立しました。このように、接着界面における分子レベルの構造と剥離試験で得られたマクロな接着強度を結びつけられるスキームを提案したのは本研究が初めてです。なお、Si 基板は脆(もろ)く割れやすいことから、従来の接着力試験法が適用できないことが判明したため、この種の基板を用いた際の接着強度を正確に測定できる新たな試験法の開発も行いました。
これらの新規に開発した手法を用いて分析したところ、接着界面では従来考えられていた化学的相互作用(樹脂と基板の接触面における水素結合などの分子間相互作用)に加えて、Si 基板の表面化学状態に応じて界面近傍に存在するエポキシ樹脂の当量比(注 11)が増減すること、さらにはこの当量比変化に対応してエポキシ樹脂の架橋構造、ひいては樹脂の機械特性が大きく変化することが明らかになりました(図 2)。さらに、エポキシ樹脂を剥離した後の Si 基板表面を TEM 観察したところ、Si 基板表面に数 nm~数十 nm の厚さで樹脂が残存しており、Si 基板の表面化学状態によってその残存樹脂の厚さや Si 基板の表面露出領域の割合が変わることもわかりました(図 3)。これらの結果は、接着・剥離現象の研究において、無機材料の表面化学状態が接着剤の分子構造や機械特性に与える影響を考慮する必要があることを示しています。
今後の展開
本研究で得られた接着界面での化学的相互作用に対する分子論的知見は、種々の樹脂/無機材料接着系に適用可能であり、航空機・自動車・船舶などに使用される繊維強化プラスチックの高強度化、電子回路基盤における樹脂封止剤の耐剥離性の向上などへの応用を通して、省エネルギー社会の構築やカーボンニュートラルな社会の実現への貢献が期待できます。さらに、本研究で確立した接着界面分析の方法論は、接着界面における化学状態・結合や分解・劣化・破壊過程の精密計測に道を拓き、新規の接着・剥離技術の開発に繋がることになると考えられます。
図1. 本研究で対象とした接着界面の模式図。化学処理により平滑な Si 基板の表面を水酸基(OH)および水素(H)で終端化し、そこに未硬化のエポキシ樹脂を塗布および加熱硬化することで、Si 基板の表面化学状態が異なる 2 種類の接着界面を作製した。環状暗視野 STEM 観察により、いずれの接着界面も 1 nm以下の平滑性を有し、厚さ 1~2 nm 程度の酸化層が存在することがわかる。
図2. (a)OH 終端界面および(b)H 終端界面(酸化層:約-1~0 nm)からの距離に対する当量比(硬化剤/主剤)プロファイル。OH 終端界面近傍では界面から離れた領域(当量比:1.0)に対して当量比が増加しており、H 終端界面では反対に低下していることがわかる。(c)主剤と硬化剤の架橋反応により形成される 2 級アミン(直鎖構造)、3 級アミン(分岐構造)、OH 基の模式図。(d)反応硬化分子動力学シミュレーションにより架橋反応させたエポキシ樹脂(当量比:0.6~1.4)中の 2 級アミン、3 級アミン、OH 基の数密度。当量比の増加と共に2 級アミンと OH 基の密度は増加するのに対し、3 級アミン(架橋分岐点)の密度はほぼ一定である。ここから、接着界面近傍で当量比が異なると、エポキシ樹脂中の官能基や架橋分岐点の密度、架橋分岐点間の分子鎖の長さといった”架橋構造”も異なることがわかる。
図3. (a)OH 終端界面および (b)H 終端界面の接着界面近傍の構造およびエポキシ樹脂剥離時の破壊面の模式図。OH 終端界面では Si 基板表面での界面剥離が少なく樹脂が比較的厚く(5~10 nm)残存している一方、H 終端界面では界面剥離が多くみられた。また、OH 終端界面では Si 基板と樹脂の接触面において水素結合が多数形成される。